時:平成10年7月

場所:新門司病院・デイケア喫煙ルーム

聞き手:精神分裂病回復途上者A氏

回答者:新門司病院職員 榎本氏

(そろそろ普通に働きたいんですが)
 仕事を色々探してもいいと思うんですよ。
 でも今の自分がやりたいことが何なのかが明確になっていない時に仕事を探すということは、ある意味で再発にも繋がるし、ますます自分が追い込まれドツボにはまって行くことになりかねないと思うんですよ。
 逆に今のように自分の調子がいい時に、自分が本当に何をやりたいのかということをじっくり考えてみるという事も大切ですよ。これから先20年後30年後の自分の生き方がそれによってまるっきり変わってくると思うんです。
(そうですか)
 僕が言うのもなんですけど、Aさんとかが今こうやって心の病気にかかっている事はある意味で強みだと思っていいと思うんですよ。
(強み?)
 ある意味で人生を振り返るいい機会というか。病気になり精神科に通って薬をのんでいるということはすごくハンディだと思いますよ。でもある意味で強みだとも思うんです。自分の人生を振り返る機会になっているから。だって今ほら、こういう時世だから、ちょっとした仕事の行き詰まりがあったら、簡単に自殺したり家族を捨てて蒸発したり夜逃げなんていう事も多いですね。そんな人たちっていうのは自分の人生をじっくり考える暇もなく闇雲に仕事してきて、勢いがある時はすごくいい生活をしてきたと思うんです。でもそんないい暮らしをしてきた人がいざどん底に落ちた時に、まったくもう自分が何していいかわからなくなっちゃって、もうそこから逃げるしか道が無くなっているんです。
 普通に会社に入って仕事する事が、周りから見たら評価を受けるじゃないですか、でもあくまでも周りからの評価であって、自己満足というか自分自身の中での評価か?っていう事なんですよね。
 自分の評価っていうのは自分がやりたい事をやり遂げたという事
が自己評価につながるし自己満足じゃないですか。だからあんまり周りの雑念にとらわれないでもっともっと自分の生き方を貫き通して欲しいと思うんです。それは親がなんと言おうと自分はもうこういう風に生きていくんだと決めてね。
(お袋がね、もう70を越えていつ死ぬかわからんて言うんです。貯金も無いで将来どうするんか、ちゃんと自分一人でやっていけるように、もう職親とかそんなんやないで、きちんと自分で一生勤められる仕事を捜しなさいって言うんです)
 でも考えようによっては、もしお母さんが亡くなったらAさんの年金だけになるじゃないですか、その時はパートとか職親ぐらいの賃金でやれるような家を探して住めば充分やっていけると思うんですよ。今あんまり先の事を考えたら負担になるだけです。とにかく自分が今やりたい事は何かっていう事を見つけていくのが一番大事だと思います。
 この病院に入院してきた頃に比べたらずいぶん状況変わってるでしょう。あの頃すごい不安で、転々と変わってきて、でも今そうじゃなくてたくさん仲間がいて、微力ながらも仕事に行ってるわけじゃないですか職親に。以前の自分の状況から比べたらずいぶん変わってますよ。自分の気持ち自体も、いつもしかめっつらして将来が不安だ、体がきつい、やる気が無いっていう、どっちかというと井手さんはそういう陰性症状、表に出ない症状が多かったのですが、今そういったものがだいぶん解消されていますよね。そうやって自分が少しずつ仲間をたくさん作って、その仲間の中で自分のやりたい事を見つけようとしてるから、やっぱり少しずつ自分が落ち着いていってると思うんですよ。自分が少しずつでもいい方向に行ってるという事をはっきりと自分の中で確信を持っていいんじゃないですか。
 そういった事で自信をつけていく事が大事だと思います。

(何をインタビューすればいいか分からなかったので取りあえず自由に話してもらいました)
 昭和63年に新門司病院に就職して平成3年からデイケアを始めたんですが、その頃にさかのぼると思うんです、これ(Wendy21)に結びつくのは。うちに通って来る人とか入院している人に対して僕ら病院の職員として出来る事といったら、すごく限られていると思うんです。やっぱり同じ心の病いを抱えた人たちが横の繋がりをもって自分らで場所を作ったり環境を作ったりする事が一番大事じゃないかなと思います。作業療法士協会というのが福岡にも全国にもあるんですけど、僕らも仕事をやる上でそういう横の繋がりがあるから色んな事で行き詰まった時には助けて貰えるし救いになっています。
 皆さんも仕事をしたり学校に行ったり家で生活をしたりする中で、なかなか自分が心の病を抱えていると胸を張って言えないじゃないですか。やっぱり隠してしまう。心の病を抱えているということで「大変だね」って皆が支援してくれるなら別だけど、日本ていうのは閉鎖的な国であるし昔からの士農工商ていう身分制度がいまだに根強く残っている国でもあるから、障害者ていうのを排除するような動きもあって、そういった事を考えると皆がもっと横のつながりを持って胸を張って誇れる自分らの会を作れたらいいなと思っていました。
 だけど僕が是非こういったものを作って欲しいとか皆に言ってしまったら結局おんなじ事じゃないですか。そうじゃなくてデイケアとか病棟の患者さんとかのつきあいの中で誰か中心的な人が出てきてこういったもの(Wendy21)を作ってくれたら、自分らができるお手伝いは何でも惜しまなくやろうという気持をずっと持っていたんです。そう思って約10年仕事をしてきたら発起人会がこういう形で出来て案内を最初に貰った時には、とっても嬉しかったというか、なんかスゴイなーという感じで思っていたし。現に日本を色々見渡してみたら、こういった事をやっている所は微力ながらあるんですがね、ようやく門司地区にもこういったものが出来て、是非これを門司の中にいるたくさんの心の病を抱えた人たちと横の繋がりをもって、大がかりなものとは言わないまでも、自分らの基盤にして自分らがもっともっと地域の中で胸を張って生きていけるような組織にしてほしいなと思っています。
 またこういったものがあれば、たぶん病院というものは、また違う意味で存在するようになると思うんですよ。こういった活動が皆の生活の基盤というかメインになって、あくまでも病院はそういったとこにうまく繋げていくための通過点にすぎないというか、今までは病院に通うことが皆の一生のこと、自分らは薬をのみ続けなければならない、ずっと病院に通わなければいけない、そういう不安を抱えていたけど、こういった次の行き場所がしっかりしてあるということであれば、また病院に入院することもそんなに抵抗なくなり、病状もそんなに悪化しなくても早くに病院に繋げることができるんじゃないかなとも思います。病院に来る人たちっていうのは本当にね、もう手遅れの状態で来るんですよ。だから即入院が長くなってしまうんですね。そうじゃなくてこれからの時代っていうのは、もうちょっとでもくたびれたら病院を別荘のような感覚で使って貰って、例えば1週間、10日なりの入院でまた回復して外へ帰ってもらえばいいし、ただ外へ帰るためにはこういうふうな場所が無いと帰れないんですね。仲間がいる場所とか自分らしくおれる場所とか、そういった場所がないと絶対に安心して地域に帰れないんです。
(話はまだまだ続くんですが次の機会にしたいと思います)